私の嘘っぽさの基準
心理学を扱うビジネスをしている者として、心に寄り添うとかよりも、心をそのものに興味があります。
それでいいと思っていて、心に寄り添いますってなんか一見良い感じの言葉に聞こえるんですが、寄り添おうとして寄り添っている感じがするんです。
心とか感情そのものに興味があってその結果、心に寄り添うことになるので、最初から何となく目的が違うのかな、と考えています。
もちろん相手の方を大切に、大事に思う気持ちはどちらも一緒だと感じているのですが、その辺で合う、合わない人って結構いるんじゃないでしょうか。
数値化はウソか?
寄り添うことが一番、傾聴が一番とか順位をつけている時点でなんか違うと感じます。
そんなことより、誰もが受けてカッコよく、綺麗に、可愛くなれる、スタイリッシュなカウンセリングをしていきたいです。
本日のテーマのEQはこころの知能指数と言われています。
概念自体はダニエルゴールマンが提唱したEQが主流です。
4つに分かれて数値化もされます。(信憑性は今、途中)
1つは、自分自身を動機づけ、辛いことがあっても立ち直れる能力。
2つ目は感情や咄嗟の衝動を自分でコントロールし、目先の快楽に流されない我慢強い能力。
3つ目は、自分の気持ちをうまく整え、感情などの流れに自分の思考力を奪わせない能力。
そして、最後の4つ目は、人に共感でき、希望を維持できる能力です。
これらの4つを色々な方面から質問し、数値化していくことで、EQは測れると言われております。
そして、それが今の社会を生き残るために必要なものになってきています。
気分的な浮き沈みは誰にでもあります。
全く無いならないでそれも問題とされますし、生きている以上、「生きる」だけでは足りない時代です。
サバイブで生き残るではなく、より良く生きることを求められる時代ですね。
コロナがきっかけとなり様々なものに見直しがかかっていますが、その中で人の心の問題を見直そう、としている人は僅かしかいません。
目を向ける問題
働き方の見直しが中心となり今までの社会とは違うものになっているにもかかわらず、私たちの心への理解はまだ、なんとなく、感覚、導くままにという風な風潮が強くあります。
もう少し言うと、心を扱うのは非人道的だと考える人もいます。
心理学や脳科学を学びに学んで、最終的に、感じるままに感じ、考えるままに考えよう、という結論が出ることも多くあると聞きますが、結果だけ誰か偉大な人から聞き、それを自分がさも言っているようであれば、心の問題は解決せず、ずっと「あるがままでいい」という解釈の下、成長も楽しみも、喜びも嬉しさも飽きていきます。
挑戦することでストレスはあるかもしれませんが、今とは違った「あるがまま」というものも気付くことができます。
EQが高ければOK、低ければNGという短絡的なものではなく、どこまでいっても1つの指標であり、その指標をどのように受け止めることができるか、ということの方が本当の意味で「こころの知能指数」ではないか、と考えます。
重要なのは選択肢。
忙しい時、疲れている時、追い込まれている時は選択肢がすごく狭くなります。
その状態で耐えることがEQの2つ目を高めることになるならば、EQは重要ではないです。
1つの指標であり、全てではない。
人に携わり、また、人の心に近付き過ぎている方は自分自身とも向き合う時間を大切にしましょう。
EQは幅広い視野から質問を考えられていますが、全てでもないよ、状況や状態によっても少なからず左右される、という内容でした!