昨日週に一回は発表会をしてみようというブログを書きました。これはどの習慣形成にでも当てはまると考えておりますが、私が築いてきたベースの練習を習慣化できた、という流れから行くと、ある月にだけ、がっつり毎日(月に25回位)ライブを入れるということを結構しました。当時の状況的にはそのライブハウスで毎日ライブをすると安くライブが開催できる、というものも理由としては大きいです。1回のライブをやると大体2万円前後会場費がかかったりします。それを毎日やっても10万円前後という売り出し方だったのです。5回以上やるとすごいお得ですよね。そのような状況もあったので、この条件に飛び込んだのですが、毎日ライブをやるとどうなったかということを書いておきます。
好きなこともやり過ぎると・・・
結果として飽きました。そして、がっつりスランプに陥りました。自分が何でライブをやっているのか、何が楽しくて楽器を弾いているのか、楽器を弾いているのか、弾かされているのか、まで分からなくなり、ただ決められたノルマをこなす、という風になってきました。
言葉習慣でも書いたのですが、「こなす」という表現についてはあまり良い言葉ではありません。参考までに6月7日のブログ記事を最後に貼っておきます。まさに「こなす」が出てきたら習慣形成ではなく、ただの義務みたいになって、全く面白くはありません。しかし、そんな中きちんと私のテンションの低さに気付いた別バンドから「楽しさまったくないんじゃない」と言われ、「実は、、、」と相談することで、何とか乗り切れることができました。
視点が違った
ライブをやるというより、ライブ後のメンバーやファンとの交流などを通じて、どんな音楽が良いか、今日はどんな気持ちか、というところに気付けたのは大きかったと思います。毎日ライブをやっている方はあんまり気付かないのですが、お客さんとして来てくれている方やファンの方は、その日、その時のライブが楽しみなのです。そこで、私がテンションが低いとやっぱりガッカリしてしまいます。
誰のためのライブ?
では、私は楽しませるためにしか弾いてはいけないのでしょうか。それは半分合っていて半分違っています。半分はファン、お客さんのため、そして、半分は自分のために弾いていいのです。私たちは人間です。100%相手に合わせていき続けることはできません。自分がダメになってしまいます。現に9割方ダメになっていました。そして、そのような状態になると、もはや相手のためになど何一つできません。相手のためと言いながら、迷走し、自分のためでも、相手のためでもないすごく中途半端なライブの提供となり、結局は「心配」からいるだけのマイナス習慣になってしまいます。
悪循環の人間関係
心配だから見守る、見守られるから頑張るけど、やっぱり相手のためで、自分のための演奏はできないから悩み続ける、だから、ファンに心配をかける、という状態です。習慣形成においてもこの点が起きる可能性はあります。
ただ、がむしゃらに頑張るというのは必要かもしれませんが、少なくとも半分は「自分のために」というものを残しておきましょう。それが残らないようであれば、以前の私のように潰れてしまう可能性があります。
しかし、この体験を通じて得たものは反省という点ではとても役に立っています。中には全てのライブを楽しく、という心持ちで臨めた人もいます。しかし、それが全員ではありません。今の習慣は自分のためになっているか、なっていないのであれば、どの点が自分のためになり得るか、という点も探しながら習慣形成をしていきましょう!
週一の発表が大事、という記事も貼っておきます。