情報化社会と呼ばれる時代になって10年以上経ちますが、最近はハウツー社会とでもいうくらい簡単なノウハウに溢れかえっています。分かりやすいんですが、それって本当なのかな、と思うものも結構あります。話し方、聴き方、が9割というタイトルや絶対に失敗しない方法7つなど。
もちろん重要なところもあるのですが、誰にでも当てはまることが自分に当てはまるとは限りません。しかし、私たちの国では正解不正解を9年間も叩き込まれているので、回答書(ハウツー本)に書いてあることが、違うとは思えない人もいます。その結果、私たち自身が間違っているのではないか、と返って不安になったり、別の合うハウツー本(情報)を探し回ります。お伝えしていることは、鍵穴を見ずに、鍵を探すに近かったり、ねじ穴を見ずにドライバーを探すようなものだったり、電球のソケット部分を見ずに、電球を探し回る行為に近いです。これでは見つかりません。そこで、ハウツー本はどこまで役に立つのか、使い方を心理学の見地から考えてみます。
1.ハウツー本の意味
私たちがハウツー本を読むときはどんな時か、と考える前にハウツー本とはどのような種類の物か考えてみましょう。「○○を達成する方法」、「○○の簡単なやり方」、「○○の作り方」といった文字通り、How to~(どのようにやればいいのか)を教えてくれる本のことです。今は本という媒体だけではなく、主にYouTubeという動画媒体も多いですが、基本的にここではハウツー本として表記していきます。ハウツー本の意味はもちろん私たちが求めるものの手順を示してくれるので、教科書的な役割と言えます。どんな時に読むのかと言えば、分かりやすいのは料理の時です。目指す料理のカタチをイメージし、材料を提示してもらったり、カットの仕方や調味料の割合、炒める順番などを分かりやすく解説してもらっています。他にも日常生活においてハウツーはいろいろな場面で役立ちます。自転車の乗り方や何か壊れたものの修理の仕方などなど。
ここまでは私も便利だな、と思っていたのですが、最近人間関係のハウツー本が多いような気がします。もちろん役に立つ場合もあるのですが、書いてある内容と置かれている状況が違いすぎると効果を発揮しなくなります。料理やモノであれば、同じ様な結果になり、大変便利な役立つツールの1つですが、使う相手が人間であれば、感情が伴ってきますし、望むような結果が出ないこともしばしばあります。まずはハウツー本はやり方の一例であり、状況によっては全く効果がない、ということも知っておきましょう。
ここまでは私も便利だな、と思っていたのですが、最近人間関係のハウツー本が多いような気がします。もちろん役に立つ場合もあるのですが、書いてある内容と置かれている状況が違いすぎると効果を発揮しなくなります。料理やモノであれば、同じ様な結果になり、大変便利な役立つツールの1つですが、使う相手が人間であれば、感情が伴ってきますし、望むような結果が出ないこともしばしばあります。まずはハウツー本はやり方の一例であり、状況によっては全く効果がない、ということも知っておきましょう。
2.困ったが成長させる
そもそも私たちにとっての成長の機会は考えることにあります。この考えは少し昔ながらの考え方かもしれませんが、、、。
私たちが普段生活していて、課題と呼べる事態に直面することは多々あります。上司からの威圧的な態度に疲れたり、友人とちょっとしたことで口論になったり、家族内での不和が起こったり、といったことも課題かな、と思います。私の感覚では、大体において課題が出てくるのは人間関係が7割くらいで、残り3割くらいがご飯の作り方が分からない、修理の仕方がわからないといった物事そのものであると思っています。
ちなみに、課題はストレス、と結ぶつけられますが、普段の生活でストレスをゼロにするとどうなるか知っていますか?多くの人はストレスフリーは最高だ、と考えていると思いますので、プラスのイメージが沸くと思いますが、私は反対であると思っています。望んだ時に望んだことが出来て、好きな人に囲まれて、好きなことをやり続けるし、好きなものを食べ続けられる。理想ですよね。
しかし、中国古典の菜根譚の中で中庸という考え方が出てきます。極端な状態に走ることなく、答えが無い中で考え続けることが心を平穏に保つという内容です。これがどうつながっていくかというと、人は(課題に対し自ら)考えることで、心の平穏を保つことができるというものです。もちろん考え続けることは、多くの人にとって中々のストレスですが、全く考えない、というものもストレスです。普段の生活において「困った」という課題が起きた時は必ず、考えますよね。しかし、便利なハウツー本が出てきたために、考えることが短くなった気がします。そのため、答えが出ないとイライラしたり、人に当たったりといった、幼い感じの感情表現をすることに繋がっています。
バランスが大切ですが、困ったことはまずは私たち自身で考えてみて、成長していきませんか?
私たちが普段生活していて、課題と呼べる事態に直面することは多々あります。上司からの威圧的な態度に疲れたり、友人とちょっとしたことで口論になったり、家族内での不和が起こったり、といったことも課題かな、と思います。私の感覚では、大体において課題が出てくるのは人間関係が7割くらいで、残り3割くらいがご飯の作り方が分からない、修理の仕方がわからないといった物事そのものであると思っています。
ちなみに、課題はストレス、と結ぶつけられますが、普段の生活でストレスをゼロにするとどうなるか知っていますか?多くの人はストレスフリーは最高だ、と考えていると思いますので、プラスのイメージが沸くと思いますが、私は反対であると思っています。望んだ時に望んだことが出来て、好きな人に囲まれて、好きなことをやり続けるし、好きなものを食べ続けられる。理想ですよね。
しかし、中国古典の菜根譚の中で中庸という考え方が出てきます。極端な状態に走ることなく、答えが無い中で考え続けることが心を平穏に保つという内容です。これがどうつながっていくかというと、人は(課題に対し自ら)考えることで、心の平穏を保つことができるというものです。もちろん考え続けることは、多くの人にとって中々のストレスですが、全く考えない、というものもストレスです。普段の生活において「困った」という課題が起きた時は必ず、考えますよね。しかし、便利なハウツー本が出てきたために、考えることが短くなった気がします。そのため、答えが出ないとイライラしたり、人に当たったりといった、幼い感じの感情表現をすることに繋がっています。
バランスが大切ですが、困ったことはまずは私たち自身で考えてみて、成長していきませんか?
3.解決の形は明確なのか?
困ったことを考えることで私たちの心は強くなり、どんどんと穏やかになりますが、そうはいっても中庸。問題が解決しなければ、ずっとストレスの中に居続けることになります。そうなると、私たちは逆に心を病むことにつながりますので、そこも脱出する必要があります。
そこで重要な考え方が「解決の形を知っているのか」ということです。物事にはスタートとゴールが必ずあります。私が好きな言葉で「私たちが当たり前に生きている今日は、誰かが必死で行きたかった明日」という言葉があります。私たちは過程の状態で生きているのであって、まだゴールを迎えてはいません。生物として、生きている以上は必ず死にます。急に哲学チックな重い話になりましたが、物事にはゴールがあるということです。多くの人は困った=解決策を探し出します。しかも、解決策は私たち自身が考え付く解決策ではなく、本や情報に寄せられた解決策です。
例えば、夫婦間の問題が起きたとします。会話がなくなり、目を見ることもなくなりました。これではいかん、と思った夫は妻の機嫌を取るために、妻の機嫌を取る方法というハウツーを調べます。そして、ハウツーを実行します。しかし、ハウツーに書いてあるのは、小さな記念日に仲直りの花を送ろう、毎日にありがとうを伝えよう、といったことです。「妻にどうなって欲しいか」は多くの場合、作者や発信者の希望であり、私たちの希望と一致するとは限りません。そのため、まず考えるのは、妻の機嫌を取るというハウツーではなく、私たちが妻にどうなって欲しいか、どうあって欲しいか、というところの解決策、つまりゴールの明確化であり、そこがスタートになります。
微笑みかけて欲しい、会話をして欲しいというのであれば、ハウツーは変わってきます。「○○」な人を笑顔にする方法や女性が話しやすい話題、とかになります。さらに欲を言えば「○○」というところに、自分の妻と限りなく近い人が入っているといいでしょう。ゴールを描いてから、でないと、せっかくの努力が無駄になる可能性もあるのです。
そこで重要な考え方が「解決の形を知っているのか」ということです。物事にはスタートとゴールが必ずあります。私が好きな言葉で「私たちが当たり前に生きている今日は、誰かが必死で行きたかった明日」という言葉があります。私たちは過程の状態で生きているのであって、まだゴールを迎えてはいません。生物として、生きている以上は必ず死にます。急に哲学チックな重い話になりましたが、物事にはゴールがあるということです。多くの人は困った=解決策を探し出します。しかも、解決策は私たち自身が考え付く解決策ではなく、本や情報に寄せられた解決策です。
例えば、夫婦間の問題が起きたとします。会話がなくなり、目を見ることもなくなりました。これではいかん、と思った夫は妻の機嫌を取るために、妻の機嫌を取る方法というハウツーを調べます。そして、ハウツーを実行します。しかし、ハウツーに書いてあるのは、小さな記念日に仲直りの花を送ろう、毎日にありがとうを伝えよう、といったことです。「妻にどうなって欲しいか」は多くの場合、作者や発信者の希望であり、私たちの希望と一致するとは限りません。そのため、まず考えるのは、妻の機嫌を取るというハウツーではなく、私たちが妻にどうなって欲しいか、どうあって欲しいか、というところの解決策、つまりゴールの明確化であり、そこがスタートになります。
微笑みかけて欲しい、会話をして欲しいというのであれば、ハウツーは変わってきます。「○○」な人を笑顔にする方法や女性が話しやすい話題、とかになります。さらに欲を言えば「○○」というところに、自分の妻と限りなく近い人が入っているといいでしょう。ゴールを描いてから、でないと、せっかくの努力が無駄になる可能性もあるのです。
4.まとめ(情報の活用とは)
情報とは素晴らしいものです。しかし、活用する私たちがその情報をどのように扱うか決めることが出来て、初めて価値あるものになります。情報に踊らされないよう、ハウツーに引っ張られ過ぎないよう注意が必要です。まずは日常の困ったという感情は私たちの「考える」という能力を鍛え上げる最高の材料であり、物事のゴールは人それぞれ違うため、私たちそれぞれのゴールは何か、というところも具体的に描くことから始めましょう。
どのようなものを学ぶのか、そして、なぜ学ぶのか、という視点は必ず、将来の私たちの生活を豊かにしていきます。心理学を学ぶこともきっかけにすぎません。ハウツーも一度使って終わりではなく、同じジャンルであれば、応用可能なものになります。その応用力を鍛え上げることによって、どのような困ったでも私たち自身で解決できるという自信を育みながら、ハウツーと付き合っていくことが大切なのではないでしょうか?
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どのようなものを学ぶのか、そして、なぜ学ぶのか、という視点は必ず、将来の私たちの生活を豊かにしていきます。心理学を学ぶこともきっかけにすぎません。ハウツーも一度使って終わりではなく、同じジャンルであれば、応用可能なものになります。その応用力を鍛え上げることによって、どのような困ったでも私たち自身で解決できるという自信を育みながら、ハウツーと付き合っていくことが大切なのではないでしょうか?
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