私たちは身体がケガした時、風邪をひいた時には自然と治癒されるようになっています。では、心はどうでしょうか。もちろん心も同じようにヘコんだり、傷付いたりしたら自然と治癒されるようになっているのです。身体のケガは小学校のときに習ったことがあると思います。傷口に細菌が入らないようにしたり、かさぶたになったりします。
心のケガは習ったことがある人は少ないのではないでしょうか。治り方を知っておくと、私たちが心にケガを負ったときに、どのような対処が良いのか、どうすれば心の健康を維持できるのか、が分かる様になります。
本日は心のケガに対して今行われている心の動き、防衛機制というものを学んでいきます。防衛機制を知り、きちんと心と向き合いつつ充実した人生を送っていきましょう。
1.抑圧されるこころ
防衛機制の基本的な考え方は抑圧から始まっていきます。抑圧という言葉から何を連想しますか?押し込めるとか隠すとか、その辺のイメージをされる方が多いと思います。イメージ通りです。抑圧とは自分が本来したかった、あるいはしたくなかったことを「無意識的に」忘れたり、感じなくなったりすることです。つまり、心のケガ(できない、やりたくないという負の感情)を無理やり消し去ることです。
しかし、それらの感情は忘れられているわけではなく、無意識という容れ物にただ押し込められているだけなので、症状として戻ってきます。例えば、職場で嫌な経験が立て続けに起こり、意識的に気のせいだと思っても、無意識化では不安や心配などが積み重なります。最初の内は頑張って行こうとするのですが、次第に体調も悪くなり、頭も働かなくなり、仕事に行けなくなります。意識的には行かないといけないとは分かっているのに、症状として風邪であったり、違和感が強く働き、身体を行かせないようにしているのです。これが基本的な抑圧というものです。抑圧された感情が表に出る、あるいは処理されるときのやり方として、今回お伝えする「心の動き」が働くことになります。
しかし、それらの感情は忘れられているわけではなく、無意識という容れ物にただ押し込められているだけなので、症状として戻ってきます。例えば、職場で嫌な経験が立て続けに起こり、意識的に気のせいだと思っても、無意識化では不安や心配などが積み重なります。最初の内は頑張って行こうとするのですが、次第に体調も悪くなり、頭も働かなくなり、仕事に行けなくなります。意識的には行かないといけないとは分かっているのに、症状として風邪であったり、違和感が強く働き、身体を行かせないようにしているのです。これが基本的な抑圧というものです。抑圧された感情が表に出る、あるいは処理されるときのやり方として、今回お伝えする「心の動き」が働くことになります。
2.捻じ曲がるこころ
最初は認知の歪みというものです。よく物事は私たちの捉え方次第で、プラスになったり、マイナスになったりする、という言葉を聞きます。同じ「怒られる」でも、人によっては「期待されている」と捉えたり「嫌われてるんだ」と捉えたりするような現象です。つまり、どのように思考するか、というところが心のケガするかどうか、の分かれ道になります。
この場合は「嫌われている」と捉えると心にケガに負うということになります。しかし、ここまで理解できたからと言っても、なかなか怒られたことを「期待されている」と思い込めないものです。そこで心はバランスをとるために、認知の方を歪めて心の平穏を保とうとします。それが最初の歪曲というもので、認知のゆがみとも言われます。
実は、この歪曲いろいろな種類があります。全部説明するとすごい量になるので3つだけ。
・~すべき思考
・過度な一般化
・選択的抽象化
などなど。
「すべき思考」はそうならねばならないと思い込むことです。絶対に間違ってはならない、時間は正確に守らなければならない、など、一見正しそうに見えますが、別に世の中には「~ねばならない」「~すべき」ということはありません。しかし、そう思うことで一定のルールができて心は楽なわけです。一点の隙間もない固い状態です。
「過度な一般化」は数例の事例をもとに「すべてがそうである」と結論付けることです。このようなこころの動きがあることで、これ以上考えずに済み、結論をすぐに持ち出すことができます。思考の放棄とも言えます。
「選択的抽象化」は物事の事例のうち悪いところに目を向けることです。テストで85点だとすると、15点も取れなかったと嘆いたりします。私たちの良いところを見ずに、悪いところや出来ていないところにフォーカスがあてていきます。悪いところをみれば、自分を責めることができるので、誰かが慰めてくれるということにもつながりやすくなります。
この場合は「嫌われている」と捉えると心にケガに負うということになります。しかし、ここまで理解できたからと言っても、なかなか怒られたことを「期待されている」と思い込めないものです。そこで心はバランスをとるために、認知の方を歪めて心の平穏を保とうとします。それが最初の歪曲というもので、認知のゆがみとも言われます。
実は、この歪曲いろいろな種類があります。全部説明するとすごい量になるので3つだけ。
・~すべき思考
・過度な一般化
・選択的抽象化
などなど。
「すべき思考」はそうならねばならないと思い込むことです。絶対に間違ってはならない、時間は正確に守らなければならない、など、一見正しそうに見えますが、別に世の中には「~ねばならない」「~すべき」ということはありません。しかし、そう思うことで一定のルールができて心は楽なわけです。一点の隙間もない固い状態です。
「過度な一般化」は数例の事例をもとに「すべてがそうである」と結論付けることです。このようなこころの動きがあることで、これ以上考えずに済み、結論をすぐに持ち出すことができます。思考の放棄とも言えます。
「選択的抽象化」は物事の事例のうち悪いところに目を向けることです。テストで85点だとすると、15点も取れなかったと嘆いたりします。私たちの良いところを見ずに、悪いところや出来ていないところにフォーカスがあてていきます。悪いところをみれば、自分を責めることができるので、誰かが慰めてくれるということにもつながりやすくなります。
3.置き換えるこころ
置き換えというこころの動きもあります。例えば、どうしてもやりたいことがあったとします。しかし、そのやりたいことをやることに何かしら障害があります。食べ物で例えると、お寿司が食べたいのですが、今月はピンチなので、ちくわに醤油をつけて食べようというようなものです。お酒を飲みたいのに、炭酸水を飲むとかも置き換えです。
これらの行動を心の問題で考えると、本当は好きな人がいるのに、既に配偶者がいるため、別の人を好きになろうとしたり、怒りたいことがあるのに、立場上、上司にあたるので、部下に怒りをぶつけたり、ある人が怖いということが認められないので、別の何かを怖がったりというようなことです。置き換えることで、今ある問題を見なくていいので、心の平穏は保つことができるようになります。しかし、本質的な問題からは目をそらしているだけなので、解決にはなりません。最初に置き換えていることに気付き、認めなければ、満たされることはない訳です。私たちにとってマイナスだと感じてしまう出来事があったとき、最初は辛いかもしれませんが、どうしても直視できなければ、置き換えても大丈夫です。しかし、ある程度落ち着いてきたら、私たちの心の中の声をきちんと聴き、本来の課題を置き換えずに向かい合うことが必要です。
これらの行動を心の問題で考えると、本当は好きな人がいるのに、既に配偶者がいるため、別の人を好きになろうとしたり、怒りたいことがあるのに、立場上、上司にあたるので、部下に怒りをぶつけたり、ある人が怖いということが認められないので、別の何かを怖がったりというようなことです。置き換えることで、今ある問題を見なくていいので、心の平穏は保つことができるようになります。しかし、本質的な問題からは目をそらしているだけなので、解決にはなりません。最初に置き換えていることに気付き、認めなければ、満たされることはない訳です。私たちにとってマイナスだと感じてしまう出来事があったとき、最初は辛いかもしれませんが、どうしても直視できなければ、置き換えても大丈夫です。しかし、ある程度落ち着いてきたら、私たちの心の中の声をきちんと聴き、本来の課題を置き換えずに向かい合うことが必要です。
4.映し出すこころ
投影という現象もあります。投影の意味は映し出すということです。心の中の世界を、誰か、あるいは何か、に映し出していくというものです。例えば、私たちが誰か苦手な人が目の前にいるとしましょう。職場での苦手な同僚、部下、上司などでも良いですし、学校でも構いません。人間関係の中で私たちが苦手な人を想像してください。その人はあなたのことを好きですか?と質問すると、そんなことはない、相手が私を嫌っているんだ、という心の動きに気付いたらそれが投影です。つまり、私たちの内面にある受け入れがたい感情や欲望などを、私たちのものとして認めずに、外の世界に映し出すことを投影と言います。
これは時として被害妄想の形まで発展することがあります。実は私たちの方が相手を嫌っているにもかかわらず、相手が私たちを嫌っていると感じることです。他にも自分がやりたいと思っていることを認められず、相手がやりたがっていると思い込み過度に誘ったりすることも投影です。
例では、分かりやすくするために、最初、私たちが苦手な人を想像するところから入りましたので、「私たちが」苦手、と意識できているはずなので、正確には投影ではないのですが、この部分が「相手の方が」あなたのことを苦手だと思っているのが投影ということになります。
これは時として被害妄想の形まで発展することがあります。実は私たちの方が相手を嫌っているにもかかわらず、相手が私たちを嫌っていると感じることです。他にも自分がやりたいと思っていることを認められず、相手がやりたがっていると思い込み過度に誘ったりすることも投影です。
例では、分かりやすくするために、最初、私たちが苦手な人を想像するところから入りましたので、「私たちが」苦手、と意識できているはずなので、正確には投影ではないのですが、この部分が「相手の方が」あなたのことを苦手だと思っているのが投影ということになります。
5.成長につながるこころ
最後に今までの防衛機制の中では、一番建設的な防衛機制です。それが昇華というもの。実は私も昇華という防衛機制を使っています。例えば、私が人からバカにされたと感じたとします。そして、そのように捉えた結果、生じた感じた感情が怒りです。この怒りのエネルギーを「私をバカにした相手」に向けて、相手の足を引っ張ったり、言い争ったりする、ということに使うのではなく、別の行動に使います。スポーツの技術向上のために使ったり、必死に勉強したり、普段は人の目が気になってできないような、飛び込み営業や知らない人へ声をかける、といったような行動をするのです。
学術的に言うのであれば、攻撃的なエネルギーを社会的、人間的に受け入れられないような行動をするのではなく、社会的、人間的に受け入れられる建設的な行動に使うことを昇華といいます。仕事でバカにされたなら、仕事のスキルを上げる活動に時間を使ったり、転職活動に勤しんだり、友人から邪魔をされたら、友人が邪魔をしないような社会的信頼を得るような行動をしてみたり、です。
もし、あなたの心がケガをおってしまった、あるいは負いそうということであれば、足を引っ張ったりする前に、別の行動にやる気を注げないか、という点を考えてみても良いのではないでしょうか。
学術的に言うのであれば、攻撃的なエネルギーを社会的、人間的に受け入れられないような行動をするのではなく、社会的、人間的に受け入れられる建設的な行動に使うことを昇華といいます。仕事でバカにされたなら、仕事のスキルを上げる活動に時間を使ったり、転職活動に勤しんだり、友人から邪魔をされたら、友人が邪魔をしないような社会的信頼を得るような行動をしてみたり、です。
もし、あなたの心がケガをおってしまった、あるいは負いそうということであれば、足を引っ張ったりする前に、別の行動にやる気を注げないか、という点を考えてみても良いのではないでしょうか。
6.様々なこころ(まとめ)
今回はこころの防衛機制を数種類を説明させていただきました。心の動きはこのように様々です。しかし、どれも私たちの心がケガを負わないように、回復するよう、あるいは均衡を保つようにできています。このことを知るだけでも心に向かい合うことになると思います。
そして、今回は防衛機制の代表劇な事例でしたが、実は、これらの防衛機制は4つのステージに分けられます。未熟なものから、成熟した防衛機制というステージまで。歪曲や投影などが、ステージが低いものになり、昇華が高いステージにいます。私たちが普段どの段階の防衛機制に頼っているかで、健全か病的かというところにも分かれていきます。
また、ステージが低いものは通常、無意識化に行われていますので、まずは、知識で自分に思考、行動パターン気付き、意識できるようにして、健全な防衛機制を発揮し、生き生きした人生を過ごしてみませんか?
そして、今回は防衛機制の代表劇な事例でしたが、実は、これらの防衛機制は4つのステージに分けられます。未熟なものから、成熟した防衛機制というステージまで。歪曲や投影などが、ステージが低いものになり、昇華が高いステージにいます。私たちが普段どの段階の防衛機制に頼っているかで、健全か病的かというところにも分かれていきます。
また、ステージが低いものは通常、無意識化に行われていますので、まずは、知識で自分に思考、行動パターン気付き、意識できるようにして、健全な防衛機制を発揮し、生き生きした人生を過ごしてみませんか?
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