「このままでは虐待してしまう・・・」
と1人で悩んでしまう方もいるのではないかな、と思います。
虐待だけに限った話でもないのですが、人が人に対して高圧的になる時は大体心の中でこのような現象が起こっています。
それが、、、
「比較」です。
比較をして安心する
人は何か判断をするときは必ずと言っていいほど何かと、あるいは誰かと比較して物事を判断します。
「あれよりは良い」「あれよりはダメ」とかですね。
「良い」という判断を下した場合は人は安心したり、満足したりするものですが、「ダメ」という判断を下した場合は不安になったり、心配になったり、悲しくなったりします。
人に高圧的な態度をとるということは多くの感情は「怒り」であると思いますが、その「怒り」は2次感情と呼ばれており、先にお伝えした「不安・心配・悲しさ」などのいわゆるネガティブな感情を基に形成されています。
つまり、ネガティブ感情が処理できず、溢れた感じで「怒り」表現になり、高圧的になるのです。
具体的にはこんな感じです。
食事中に子どもがぼろぼろと食べ物をこぼす。
→(頭の中で誰かと比較、あるいは、過去の当人と比較し、出来ていない、成長していないとの判断を下す。)
→(出来ていないことへの不安、成長が見えないことに対しての心配。)
→「いつまでこぼすの!!!」という怒りで表現。
→口で言って分からないなら、、、という気持ちになってくる。
と言うような流れです。
では、なぜ人は比較するのでしょうか?
比較の理由
それは、そのような教育から学んできた、というのと、簡単に安心することができるという理由があります。
私たちは少なからず、誰からのお世話になって、ここまで育ってきました。
小さい頃から、様々な周りからの反応を受けてきたと思います。
ある時は「上手にできたね」という褒め言葉だったり、「ダメだな!」とかいう否定的な言葉だったりします。
もちろん言葉だけが反応ではありませんので、頭を撫でられたり、微笑まれたり、頭を叩かれたり、避けられたり、と言うような非言語的な態度もこの場合は反応です。
このような体験を通して、自分にとって望ましい反応をもらえるように人は成長していきます。
この前○○したときは、望ましい反応ではなかったから、新しい行動をやってみよう、と。
そして、望ましい反応や決まりきった反応をされると、人は安心していきます。
ここでの比較対象は以前の反応と今起こっている反応を比較して、検討して、自分にとってより良い反応、あるいは安心する反応を得るために行動を変えていくのです。
つまり、人は大体において「比較する」ことで安心したり、不安になったりするということです。
子育てや教育現場において大体において起きていることはこの「比較」による判断、そして、その判断に基づく怒りの発生、ということになります。
しかし、比較だけでは怒ることはあっても、いきなり高圧的な態度や叩いたり、ということは実は起きないのです。
比較と○○で叩くことにつながっている
何が高圧的な態度や(激しく)叩いたりする虐待の一部か、というと、「コントロール」ということが考えられます。
このコントロールは人に絶対的な安心感を与えます。
人は進化の過程でこの「コントロール欲求」を満たしてきました。
・喉が渇いたらいつでも水を飲めるために水道を整備。飲料水のコントロール。
・好きな時に好きなものを食べるという貯蔵するという冷蔵庫を開発。食べ物のコントロール。
・安心して眠りにつくために命を守るための住居を立てる。睡眠環境のコントロール。
などなど。
私たちの現在の暮らしは、生きるには困らないほどコントロール可能なものがあります。
そして、いつしか、「当たり前」として享受するようになりました。
私たちの当たり前は誰かの努力の上で成り立っているのですが、それを忘れて、次のコントロールを求めているのです。
それが、人に対してのコントロール。
思った通りにならないと、思った通りに動いてもらうために、様々な手を使いコントロールしようとします。
その中の1つが「怒り」による高圧的な態度になります。
高圧的な態度は、相手に圧迫感を与え、命の危機感まで与えることがあります。
私たちが自分の身が危ない!と感じたらどうしますか?
身を守る姿勢を取ったり、その場から逃げたり、機嫌を損ねてこれ以上怒られない(危害を加えられない)ように言うことを聞くという選択をとったりするはずです。
そして、その身を守ることができたら、安心するので、自分の行動が正しかったのだと判断します。
一方で高圧的な態度を取った側はどのようにこの状況をとらえるでしょうか?
叩いた人の麻薬的な常態化
思い通りにならない、気に入らないことがあったが大きな声を出したり、軽く叩いたりすると相手が思い通りに動いてくれた、「自分の思いが伝わったのだ」と考えて、同じような行動をとりやすくなります。
そして、繰り返し怒ったり、叩いたりするようになり、コントロールしやすいやり方でコントロール権を手に入れて自分を満たしていくのです。
それが何となくダメなコトである、と知っていても繰り返してしまうのです。
このように解説していくと多くの人は気をつけよう、と思ったり、私はそんなことないから安心、となるのですが、心のメカニズムや行動のメカニズムを知るだけではすぐに行動が変わるか、というとそうではありません。
私たちは情報に包まれていますから、恐らくは正しい行動がなんであるか、ということは知っています。
例えば、人間の健康には野菜や運動、適度な睡眠が大切ということは世界的に知られていますが、みんなが健康かというと決してそんなことはありません。
気付き、知るところからスタートして、変えて、成長していくのです。
脱出の糸口
では、どのようなトレーニングが必要か、というと日常で次のことに注意を払うことが有効な方法です。
1.自分の本当の気持ち(不安、心配、悲しさ、寂しさなど)に気付くこと
2.本当の気持ちをきちんと相手に伝えること
3. 相手をコントロールしようとしていることに気付くこと
そして、最後に最も大切なことは
「子どもであっても私たちと一緒の人間である」
ということを常に感じることです。
一緒の人間だからこそ、気分のムラがあったり、情緒が定まらない日もあったり、ついつい悪いと知っていてもやってしまったり、必ず「正解」の行動を毎回している訳でもありません。
さらにその「正解」もきっと何かと比較して導き出された行動なので、それ自体にも意味はありません。
同じヒトとして向き合うこと。
それが一番大切なことですね。