子どもに腹が立つは健全ですよ

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主張ばっかりや!!

 「あれしたい!」「これしたくない!」など、私たちは普段何かしらの主張したいことがあります。

社会人になって組織の中でルールや規定、暗黙の了解や雰囲気などで「どっちでもいいけど、結局はやれってことでしょ?」と諦めている方もいますが、そのような方でさえ「どちらかと言えば、、、」というのはあります。

会社に属していて、本気で100%やりたくないならば、退職という手もあるはずです。

しかし、退職するより、今の会社の方がいいから勤めている、と考えると結局、どちらかでもいいけど、というのは、何かしらと比べて、今の選択肢の方がマシだから、選んで行動しているという風に言い換えることもできます。

自己主張はいつから?

 子育てをしていて、自己主張が出てくるのは大体3歳くらいから4歳くらいまでに急激に発達していきます。遊びたい、片付けたくないなどの自己主張です。

急激に伸びてくるので周囲は戸惑うこともあると思いますが、発達心理学と子育てを並べてみることで、おおよその「こころの準備」ができます。

そうは言っても、学問通りにいかないのが人間なので、発達心理学はあくまでも参考程度でも良いと考えています。

いきなり、子どもが我儘になった!と捉えるのではなく、そういう風な発達、あるいは成長の段階なんだ、と捉えることで少しでも私たちの心が穏やかになればいいことです。

自己主張ばかりしているとどうなるか、というと、トラブルが増えてきます。

お友達間でのおもちゃの取り合いや自分のペースで物事を進めたいという気持ちから言うことを聞かないから周囲との溝ができてしまうなど。

自己主張が弱いとそれはそれで問題ですが、強くても問題は問題です。

問題というよりは、それが望ましいか望ましくないか、で捉えた方がいいでしょうけど。

私が自己主張が強いと仮定してお伝えすると、、、

・自己主張をし続ける→最初は思い通りに何とかなる→周りは私の言うことは聞くが、極力絡まないようになる→自分の枠を超えない→成長しない→現状に飽きる→思い通りにはなるけど、言いようのない不安に駆られる→面白くない→自己主張が強すぎて、面白くなくなる。

というような若干の負のループに突入します。

逆に弱ければ、、、

自己主張できない→不満が溜まる→人生が面白くないという負のループです。

つまり、どこかで自己主張の折り合いをつけなければなりません。

自己主張のバランサー

 その点人間は上手に適応しており、自己主張が始まる3歳から4歳と同時、あるいは少し後に自己抑制のステージがあります。

この自己抑制は3歳から6歳頃にかけてゆっくりと成長していくとされております。

自己主張に折り合いをつけるのです。

自己主張・自己抑制のバランスが取れてきて、仲間との共存やストレスがない関係構築が出来ていきます。

別の視点も忘れない

 そして、この頃同時にエリクソンの8つの発達段階説では「自主性VS罪悪感」という段階でもあります。

好奇心が芽生えチャレンジしていきますが、その結果に対して周りの大人や先生から怒られたり、行動を事前に抑制されたりすると、「私はいけない子」というメッセージを受け取り、罪悪感を抱くようになります。

罪悪感に支配されずに自主性を発達させていくと、目的意識というものにつながっていきます。

最近の我が家

 最近子どもが学校に行きたくないとの主張をします。

恐らく学校では今までの保育園とは違い、「抑制」があるはずです。

もちろん、保育園でも決められた時間に何かルールを守り、みんなで行動する、というものはあったはずなのですが、それよりも、1人の先生が自分達のクラスをずっと見る、ということは、もし、万一先生にとって「違う」という行動を取ってしまったら、罪悪感にかられますし、逆に自己抑制が過度に働くことになります。

保育園は先生は1人ではなかったので(担当の先生はいましたが、同じ空間に他の先生もいました)、ある程度本人にとって伸び伸びできる環境でした。

このことを踏まえると、発達の段階のどこを優先とするか、また、どのように我が子に接するか、そして、私たちの環境をどのように調整するか、という考えをまとめなければなりません。

ちなみに私は学校は絶対必須のもの、とは考えていません

勉強を教える所とも捉えておらず、学ぶことの面白さを提供し、将来自分で進んで学べるように動機付けしつつ、関係性を体感するところだと思っていますので、学校に強引に連れていき、勉強を無理矢理させて、将来歪みがくるのであれば、別にいっかな、という楽天家の思考です。

かといって、ストレス耐性が低くなるのも考えもの。

つまり、我慢強さや粘り強さですね。

家庭教育と学校教育の違いは関係性からくる言葉の響き方や伝わり方です。

同じことでも違う方から言われると、響くような言葉になるというやつです。

遺伝か環境かという考え方や環境閾値説などいろいろ教育にはあるのですが、私は基本的に笑って過ごせばいいんやない?という、どうにも楽天家気質がありますので、合う人、合わない人がいることでしょう。

そんな時は基本に振り返り、相手が子どもであったとしても、よく話を聴く、という点だけしていれば大丈夫です。

途中で私たちが話すときはきちんと子どもから許可をとりましょう。

「ちょっと話しても良い?」という具合です。

基本聴きますけどね。

読み取れなくても、読み取れても、ちゃんと自分の言葉で言えるように、自己主張が安心してできる環境、あるいは時間をとるように。

今の失敗や悩みの時間は将来の子どもの笑顔につながるように構築できるきっかけになればと思い、本日は自己主張、自己抑制、そして、「自主性VS罪悪感」でした。

・・・子どもだけでなく大人の私たちも上手に出来ていますか?

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