周りの人のことを信じ切れる人は本当に羨ましいです。疑う→検証→証拠集め→信じよう、という過程がなく、いきなり信じることが出来るのですから。
時間も精神的な安定も桁違いに得をすると思います。しかし、現実には信じてしまうと、「言っていたことと違うやん!」としてトラブルになるケースも多々あります。きちんと疑って検証していればこんなことにはならなかったのに、、、と。要はウソつきでないという前提があれば100%信じていいのですが、そこが分からないから悩む訳ですし、時間も無駄にします。
ウソつきの判断は?
視線の動きでは右利きの人は自分から見て右の方を見ていれば過去のことをみているので真実、左の方を見ていれば言い逃れを考えているのでウソの可能性あり、という情報もありますが、これも100%ではないでしょう。
新習慣形成において一番大切なこと
私たちは習慣形成において特に意識しないといけないことは時間です。それは今までなかった新しい習慣を入れるのですから、今までの生活スタイルから時間を確保してきて、入れ込むということになります。慣れないことなら時間もかかるでしょうし、思考の時間も使うと思います。このように時間がなくなるので、大切にしないといけません。冒頭の人を信じれるかどうか、という話も、とりあえず疑い、検証して、証拠を集め、信じるという時間を先にとるのか、信じて行動した結果、騙されてその後処理に追われる時間を後にとるのか、という話でしかありません。ここでは(カウンセラーが言うことでもないのですが、)とりあえず、100%疑うことで生きたいと思います。
疑うメリット
理由は相手がウソをついている意識がある、もしくは無い、に関わらず、人は間違う生き物であるからです。影響力の武器でも、社会的証明、ダニエル・カールマンのファスト&スローでも利用可能性ヒューリスティックなどでも人の意思決定は実は曖昧であるとされています。ざっくりとした説明で恐縮ですが、詳しく知りたい、と思われる方はコメントくだされば、別日のブログに追加しておきますね。
善意悪意の話ではない
そんなこんなで、私たち自身も含めて、人は曖昧で絶対ではないということが分かってくると思います。ということは、私たちの周りにいる方はウソつきである、とした方が、信じて悩まず、行動し、失敗する時間を回避出来るようになります。ちなみに直感を信じていいのはそれ相応の経験値を積んできた場合です。私は直感で動いて失敗する記憶が多いのですが、同時に良かったと思うこともあります。半々くらいです。しかし、習慣が形成する確率が半々ではいけません。100%続く習慣でなければ、今までの繰り返しになってしまいます。
よくある悪循環
何かの講座を受ける、あるいは誰かのストーリーに触れる、やる気になる、教材を買ったり、時間を使ったりする、必死に頑張る、1日さぼる、やらなくなる、元に戻り、時折やる気になる。これでは私たちの人生いくら時間があっても足りません。例え、人生が200年あったとしても、大して変化なく終わっていくでしょう。
変わるためには?
変わるためには続けることが必要です。それも100%。事実はどうかは分かりませんが、人は疑った方がいいと思います。その人に悪意がある無しの話ではありません。むしろ、人は自分のことなどよく分かっていないのです。分かっている、という思い込みに囚われている人もいます。信じる気持ちを持ちながら、きちんと検証や証拠集めをしていきましょう。
制約条件の理論でいうと、出来ない理由を100%排除すると、出来ない方がおかしいということになります。疑って疑って疑い抜いておきましょう。