ベースの時代
時代は違うかもしれませんが、私がベースを弾き始めた頃はまだ今ほどベースに対してスポットライトが当たってなかったような気がします。バンドの花形と言えばボーカルやギター、そしてドラムがちょいちょい。ベースは特にあまり目立たず、どちらかというとシブい楽器としての認識が多くを占めていました。もちろん楽曲にもよりますので、一概に地味目のいぶし銀とは言えません。で、当時スラップ奏法など少しでもできればすごく褒められる時代だったのです。分からない人のために言うと、英語を知らない人に、英語でAからZまでをすらすら言えれば、「おぉカッコいい」となるレベルか、My name is~を発音を凄く上手に言えるくらいのレベルで「英語話せると?すごいね!」と言われるような奏法です。
少しの努力で最高の褒められ方
確かに最初にやった頃は難しかったですが、練習をすると、1週間くらいでそれっぽい音は出せるようになります。そうするとどうなるか?有頂天になるんです。「やっぱり上手やろ?」「才能と努力が合わさるとこうなるんよね」みたいな感じです。
・・・温かい目で見守ってください。この後、段々と悲劇がおきます。
一瞬で高騰したベーシスト
仲間内でもウチのバンドはベースが上手ということで言われ始め、気分はプロです。ベースをやり始めて2ヶ月目ですよ?完全に調子に乗ってましたね。
でも、そのうち「上手いベースどの人?」みたいに聞きに来る人もいるんですよ。そうなると噂先行の人ができる訳です。周囲の期待が上回ってくるんです。でとうとう言われてしまう訳です。
「・・・大したことなくね?」「誤魔化してるよね?」「え?基礎なってなくない?」と。ここで有頂天時代が終わりを迎えます。
程なくして、練習に打ち込むようになるのですが、練習に打ち込んだ理由としては「恥ずかしさ」「怒り」ですね。一時期は自分のことを「凄くうまい」と勘違いしていた人が現実を突きつけられ敗北感を味わう。そうして、負けじと頑張る。そこで要約、練習が習慣となり、高みを目指すようになる訳です。
現実を知るのは良いことでした
長くなりましたが、今回は現実を知るということ。そして、感情を使うということ。この2点です。
ある1つの習慣を身に付けようとすると同じようなことが起きると思います。必ず起こるとは言わないまでも、起こる確率はあります。そのような時の捉え方ですが、「井の中の蛙大海を知らず」ということわざがぴったりです。私たちがこの状態だな、と感じて、初めて現実を知ることができるのです。
そして、大海(現実)を知った時にこそ、本物に近付ける道が拓けるというものです。私たちが今のままでいるとそれは現実ではなく、私たちがそうありたいと望む世界にいる、ということになります。
つまり、「私たちは私たちの世界の中心にいる」ということになります。なので、安全だし、多少ミスっても世界の中心なので、あまり痛くありません。誰かが慰めてくれるし、過ぎに治療が受けられるような環境です。これが新しい習慣をつけようとすると、世界の中心から端っこの方に向かうことになります。ふわっとした円の中から、円の端っこを目指す感じです。何となくではなく、意図をもって進みます。そうすると、世界の端っこ、壁にぶつかります。ここで諦めるか、どう思うかが習慣化のステージの先に行けるかのサインです。
自分の感情と綱引きマン
私の場合は「恥ずかしさ」「怒り」という感情が、この壁を突破する原動力となりましたが、原動力もなく、そのままの状態で変わらずに流れてしまっては、恐らく、「壁があった、、、私にはこの辺が限界か、、、」ということで元の世界の中心におずおずと戻ることになります。
ちなみにみんながみんなただ戻ればいいのですが、戻る時に得意気になって戻る人もいます。「俺は○○を頑張り続けたんだから○○については詳しい!」という妙な自信をつけて・・・。結局は超えなかった人です。その人たちが一定数私たちの現状の周りにいて「無理やけん」とか「まーやってみてもいいよ?時間の無駄やけん」とか足を引っ張り、世界の中心から離さないようにしているのです。
私たちはそのような「壁を知っている人」の背中を見るのではなく「壁を知って超え続けている人の背中」を見るべきです。習慣は確実に創れますし、目標達成の黄金法則です。
問題はノウハウではなく、続けること。それだけです。続けるためには「諦め」ではなく「恥ずかしさ」や「怒り」すらも利用していきましょう。
ちなみに、同じような方と一緒なら恥ずかしくありませんよ!
私も勘違い野郎を一時体験していますし、、、今思うと恥ずかしいです(笑)
一緒にやっていきましょう!!