バンドあるある
以前ベースをしていた頃、始めの方はみんなで一つの目標を持っていたにもかかわらず、ちょっとした食い違いから、活動がやり難くなった時期がありました。それは、メジャーを目指すか、趣味でやるか、というもの。今の時代であれば動画の配信、YouTubeなどを使った活動もできるのですが、当時はそこまでの頭は回らず、CDを出すために頑張るのかどうか、という話でした(…だったと思います)。当時、私はCD出したいし、みんなで楽しくやりたいな、ということもあったのでどっちつかずの甘い感覚でしたが、一度解散してそれぞれの考えでやっていくということになりました。
この時を境にバンドは終息に向かっていくようになったのですが、同時に私のベース武者修行の旅も本格的に始まりました。テクニックをとりあえず追い求めるというものですね。
習慣にも節目はある
習慣を作ろうとしたときには必ずこの節目があります。このまま続けていいのか、ある程度カタチになってきたので、もう ダラダラとやってもいいのではないか、という考えです。
例えば、ダイエットも、「-15㎏」「-20㎏」を達成した時がそんな感じですね。本当は運動習慣という観点では、その後が大切です。習慣の維持でキープできるかがかかっています。
よくあるのが、ある程度の目標を達成して、その日の夜に結構な勢いで食べたりすると、習慣が壊れ、始める前まですぐ体重が戻るという、俗に言うリバウンドです。そして、0から同じことをまた繰り返していくという。
ただ、その間も時間は経過していますから、年齢的にどんどんと痩せにくくなる、あるいは食べれず望まない形で痩せていくという感じになります。
バンドも一緒(最初が一番良かった)
バンドメンバー間の亀裂もこんなところで、ある程度みんなで上手になったので出てくる問題です。それまでは、ドラムがリズムが早すぎるよ、とかギターソロが少しぎこちないのでみんなで合わせよう、とか支え合っていくのですが、本当に「ある程度」上手になると、このダイエットで言うところのリバウンド問題がおきます。
殻に気付いたら思い切り壊す
ここからこの殻をぶち抜けることが出来るか、あるいは殻を破り続けることができるか、というのが問題点であり、チャンスなのです。無事、殻を壊すことができれば、一先ずあなたの行動は習慣化の波に乗っていることになります。
破れなければ、元の木阿弥、水泡に帰す、とうことになります。習慣を身に付けようとするとこのような「サイン」はいくつもあります。誰かを巻き込みつつ自分の望む習慣を作ろうとすると、ある程度のところで「誰か」が急に足を引っ張ってくるのです。そのように人は成長ステージを登るというもの。
小学校、中学校、の義務教育のような1年経てば次の成長ステージにいくというものではありません。人生とは自分で選び、成長していくものなのです。その時の指針が周りとの不和であったり、窮屈さだったりすることがあります。
1人でやることの罠
私も以前は起業する前に、すごく勉強したりしていました。勉強が習慣になっていたのですが、「知ってる」「分かってる」「やってる」のワナにハマり、行動が出来ませんでした。
さらに、そこにはこんなワナもありました。あなたが、知らないことがまだある、だから、これをやれば起業は成功する、というような周りからのお誘いです。
当時私は「知らない」が新鮮でしたし、「分からない」が好物のようになり、どんどんとその罠にはまっていきました。この現象はよくこんな例えをされています。
私たちの目の前に2本のペットボトルがあります。1本は残り僅か。もう1本は満タン未開封です。私たちは残り僅かのペットボトルのステージにおり、そこではやることは全てやりつくしたので、ペットボトルの残りが僅かとなりました。
しかし、ペットボトルを振れば1滴くらいは出るのです。その1滴にこだわり過ぎるあまり、ずっと同じステージにいる、そして、最後の一滴もなくなると、やりつくしたと思い、新しいペットボトルの封は開けず、そのままそのステージに居続け、なんか違うな、ということで生き続けるというお話しです。
次のボトルを開けるのが怖いのです。意識的にではなく無意識的にまだここで出来ることがあるのではないか、と思っています。
もうひと踏ん張りという観点も習慣形成には必要ですが、その踏ん張りどころを間違えると、上記のようなペットボトルの罠もあります。実は、違うところで踏ん張っているかも、、、みたいな
理想の生活のための正しい習慣とはなにか、を自問自答、あるいは宣言していきながら、形成を心掛けましょう。