最近、子どもと庭の草花に水やりをしていました。通常、子どもは今の時期、遊びにあまり行かず、外出禁止をしているんですが、さすがに窮屈だろうと思い、庭の水やりを「お手伝い」という名目でしてもらいました。
・・・はやく落ち着かないかな。
と、コロナ関係は聞き飽きていると思いまして、、、
今日は水やりからの気付きです。
ウチは芝生を植えてて、ツツジの花なども小さいながら育ててるんですが、つぼみがついてきました。所々で花開きそうなところもあります。
たぶん私たちは通常、根の方に水をあげる、という行為に何の違和感もないのですが、6歳の子どもにとっては「つぼみ」が開いていないので水は「つぼみ」にあげるという概念らしいのです。
確かに、開いていないので、元気に咲くように水はつぼみにあげる、というのは発想としては納得です。
しかし、つぼみにいくら水をあげても花は咲きません。正確にはたぶん根っこに水が落ちて咲くのですが・・・。
ここで私たちが何か目標があり、成果を上げようとした時に、花の部分に注目しすぎて、肝心の根の部分をおろそかにしているのではないか、ということに気付きました。
お金を稼ぐという花を咲かせるために、なにか肝心なことを疎かにしたり、家族の時間を優先する、としてそれを築き上げている、時間の質を忘れていたり、と。
肝心なところは植物も人間も根っこの部分です。私のトレーナーが以前言っておりました。
「桜の花が綺麗なのは、いつも自分の根っこの部分を見ているから。だから人が見上げた時に、桜の花は下を見ている、人からは綺麗に見れる形で・・・。
桜の花は上は見ていない、きちんと自分の根っこを確認してるから綺麗なんだ」と。
根っこ(ルーツ)、大事に生きよう!