カウンセリングとかコーチングとかの話し方でゴールデンクエスションという話法があります。
この問いかけの使いどころは違うんですが、「今、全て望み通りになるなら何がしたいですか?」「どうしたいですか?」「どのように生きたいですか?」というものです。
普段の生活では当たり前に働いていたり、家事をしていたりしているので「全て望み通り」という前置詞がつくとその枠を超えて考えられるものです。
以前他人に「家事って毎日やってるって言ってるけど、やりたくてやってるの?」と聞かれ「いや特には」と答えて「どの頻度ならやれる?」と質問され「週3回ならこなせそうですね」といったらすかさず「こなすっていうのがやりたくないってことでしょ?やらなきゃいいじゃん」と言われたことがあります。
「確かにな」と一瞬は思ったんですが、すぐに「勝手なこと言ってんじゃねーよ」となりました。(聴いてもらってるのにわがまま(笑))
この辺は自動思考です。反射的に考えてしまいました。ま、一理あることなので今でも覚えていますが、それが重要ではありません。その後の私の気付きが私にとって重要でした。
つまり、私にとって「家事」ということは特に好きではないのですが「子どもの成長を見ること」は好きということに気付き、家事は手段であり、目的(子どもの成長を見る)を達成するシステムの一つであるという考えにシフトして今「こなしている」わけです。
このことから私の中で物事を考える時に極端な思考も取り入れるようになりました。
つまり、極端な話、全てをシステムのせいとするとどれほどの問題が解決するのか、という思考も持っておいた方が良いだろう、ということです。
原因追及はこういう意味では必要
大抵の問題は「人のせい」であったり「やり方」であったりします。一番考えつきますよね?
あいつはダメだ。今までのやり方がダメだ。とかですね。
しかし、ここでいうシステムとはもう少し広い意味合いのもので、環境そのものであったり、目標設定そのものであったりします。
間違っても狭義で「人のせい」として問題解決を図らないというのが前提です。もちろん心理学を学んでいくとその人の表象パターンや基本的欲求、価値観などが違うので、すり合わせをしたり、向き不向きがあったりして当たり前なのですが、敢えて度外視する、という考え方です。
どうしても自動思考の枠で収まって考えてしまいますので、「極論」を効果的に使うことができる、というのも強みになることでしょう。
その一つの例だな、と思ったのが、散髪に行くと髪を洗うのがセットになっていますが、洗わないという極論。
洗わないことで時短になり、さらに、安くすることができます。実際にそのような思考がないと、髪を切る=切った後洗うは切り離せないので「極論」や制約がない状態での思考は面白いですよ。