世の中は常に何かの枠に入っています。
ペットボトルもそうでしょ?
上品に入ってますけど容器がなければ、とんでもないことになりますもん。
それと同じで、私たちの感じ方、意味付けも良い意味付けの枠であったり、悪い意味付けの枠であったりします。
究極的には出来事に枠をつけるのは自分自身です。
子どもがごろっとソファーでだらけている・・・すごい体勢で・・・。
この枠付け、通常の私ならば
「テレビ観るなら観るでいいんだけど、足をそんなところに置いて観らんでよ。せめて普通に横になって!!」と軽く叱るところ。
しかし、この対応は私の中でフレームがあり、だらけることはあまり良くないこと、というフレームを通して、状態を見ていることになります。
逆にだらけることは家の中で子どもの安全をきちんと確保している、親として安心の場所を提供している、という枠組みを使うと
「ゆっくりくつろげていいね!安心できる場所があるって良いことよね!」みたいになります。
分かりますか?
子どもにとっては1つの事象でも、私たちが観ると意味合いが違ってきます。
それが「人それぞれ」ということになりますね。
意味付けは初めて自分の中のフレームと重なって出来るモノです。
当然通常は私も人間ですので、私が使いやすいフレームを使っています。
そのフレームの中で「良い」「悪い」を自動思考的に判断して相手を自分の枠組みに嵌めて見ているのです。
常に練習中ですが、体調不良や咄嗟の時はこの自動的な思考に占拠されてしまいます。
しかし、このフレームという理屈を知っておけばいざ自分がすごく凹んだ時に
「一体自分はどの信念で、どういう枠組みに当て嵌めて世の中を見ているのだろう・・・」
と自問することで、違った答えに辿り着くこともできます。
理屈は分かるけど・・・。というところで終わらず、少し時間をとってあなたが今抱いている感情は
「どういう枠組みで事実を見ていますか?」と問いかけてみて下さい。
きっと違った答えに辿り着きますよ?