私にはできない、私はダメな人間だ、など私たち自身を否定することはないでしょうか。問題が起きた時に、人によってはついつい自己否定をしてしまいます。なぜでしょうか。また、自己否定を繰り返しているとダメだということをよく言われます。
確かに私たち自身のことを私たち自身が否定するのは何となくダメなような気がします。理由を付けるとしたら、自分の可能性を閉じ込めるとか、ダメじゃないのにダメと思い込むようになるなどいろいろあると思いますが、本当に自己否定は「ダメな行為」でしょうか?
もし、自己否定が自己成長につながるとしたら、あなたは自己否定をし続けますか?今日は自己否定について考えていこうと思います。もし、あなたがついつい自己否定をしてしまい、その都度自己嫌悪に陥ってしまうということであれば、本日の記事は役に立つと思います。
1.自己否定とは?
自己否定の意味を調べてみると、自分が行う行為や自分自身そのものを否定すること、とあります。言葉通りの意味です。ではなぜ自己否定が起こるのでしょうか。まず、自己否定をするときは自分が動いていること、または動いていたことが必要です。
その動いた結果として、「やっぱり自分はダメだ」という評価をすることなので、自己否定の入り口は行動することが必要なのです。その自己否定感情が続いていくと、人は経験から「予測」する生き物なので、動く前に自分には出来ないという思い込みを持ってしまい、動かなくても、自己否定をするようになります。
自己否定から行動しない、そして、現状に変化をもたらさないから、さらに自己否定のループに入ります。これが、自己否定がよくないと言われる理由です。では「いつ」の部分は分かりましたので、「なにが自己否定」を起こさせているのか、少しまとめてみましょう。この答えは
「行動の結果」と「理想値の差」です。求めるもの(理想)について現実に起こった結果の乖離があると自己否定が起きやすくなります。何となくわかると思います。
例えば、テストで85点が自分の理想だとしてて、74点だったら、「自分はダメだ」という評価に結び付きます。運動であってもこれが出来ると思っていて、実際に出来ないと、自分はダメだという評価につながります。つまり、自己否定とは理想を求めて行動してみたけど、実際には出来なかった時の自分との比較で起こることになります。
その動いた結果として、「やっぱり自分はダメだ」という評価をすることなので、自己否定の入り口は行動することが必要なのです。その自己否定感情が続いていくと、人は経験から「予測」する生き物なので、動く前に自分には出来ないという思い込みを持ってしまい、動かなくても、自己否定をするようになります。
自己否定から行動しない、そして、現状に変化をもたらさないから、さらに自己否定のループに入ります。これが、自己否定がよくないと言われる理由です。では「いつ」の部分は分かりましたので、「なにが自己否定」を起こさせているのか、少しまとめてみましょう。この答えは
「行動の結果」と「理想値の差」です。求めるもの(理想)について現実に起こった結果の乖離があると自己否定が起きやすくなります。何となくわかると思います。
例えば、テストで85点が自分の理想だとしてて、74点だったら、「自分はダメだ」という評価に結び付きます。運動であってもこれが出来ると思っていて、実際に出来ないと、自分はダメだという評価につながります。つまり、自己否定とは理想を求めて行動してみたけど、実際には出来なかった時の自分との比較で起こることになります。
2.自己否定の種類
自己否定というのは実は種類を分けると2つあります。この種類を知らないと「自己否定」だけやってしまい「悪い」「ダメだな」と思ってしまいます。私が繰り返し伝えていることの一つに、絶対的な物の良し悪し、正誤はない、ということがあります。そのため、自己否定がダメという訳ではなく、こういう自己否定があると私たちを苦しめるという基準はあります。もちろん同じような自己否定で当たったとしても、人によっては苦しくなく、むしろ喜んで受け容れているということであれば問題ありません。
一番の問題は何か、と言われると、 私たちが問題であると認識しつつ、その問題をクリアできないことです。それでは自己否定の種類を伝えておきます。それは、破壊的な自己否定と建設的な自己否定というものです。言語のイメージ通り破壊的自己否定は、破壊してしまいます。建設的自己否定は建設するために一度壊すというイメージです。では次からの章でこの2つについてしっかりと見ていきましょう。
一番の問題は何か、と言われると、 私たちが問題であると認識しつつ、その問題をクリアできないことです。それでは自己否定の種類を伝えておきます。それは、破壊的な自己否定と建設的な自己否定というものです。言語のイメージ通り破壊的自己否定は、破壊してしまいます。建設的自己否定は建設するために一度壊すというイメージです。では次からの章でこの2つについてしっかりと見ていきましょう。
3.破壊的自己否定がもたらすもの
まずは破壊的自己否定からです。破壊的自己否定は負のループです。マイナスの階段に入ってしまい抜け出せない人が破壊的自己否定に入っています。具体的に説明します。
自己否定するために何が必要ですか、というところは1章でお伝えした通り、行動が必要です。行動をした結果、自分が思っていた理想値とかけ離れていた、あるいは足らなかったため「自分はダメだ」と思うことで、結果のバランスをとっていく形になります。そして、それが繰り返されていくと、行動をしなくても「自分はどうせダメだ」とやる前から自分を説得することになり、やらなくていい理由、「自分はできない」というものを確固たるものとしていきます。そうすると行動をしないので、現実は変わりません。そして、変わらない現実は自分にとって望んだ現実ではありません。望んだ現実でない現実に居続けると今度は、現実に対して「この現実は実は違うんではないか?嘘なんではないか?」と事実を受け容れなくなり、妄想の世界に逃げ込みます。それが妄想性障害という心の病になっていきます。それが破壊的な自己否定です。
では、どうすれば、この負のループから脱出できるのか、というと早期の段階で「自分はダメだ」という思いのところの次の思考です。
自分は(今のところ)ダメだ、という能力の向上思考に持っていくか、自分は今のところダメだ。だから誰かにお願いしよう。
依頼的な交渉術を身に付ける要求のための向上思考に切り替えると良いです。この視点を持っておくと破壊的自己否定から身を守ることができます。
自己否定するために何が必要ですか、というところは1章でお伝えした通り、行動が必要です。行動をした結果、自分が思っていた理想値とかけ離れていた、あるいは足らなかったため「自分はダメだ」と思うことで、結果のバランスをとっていく形になります。そして、それが繰り返されていくと、行動をしなくても「自分はどうせダメだ」とやる前から自分を説得することになり、やらなくていい理由、「自分はできない」というものを確固たるものとしていきます。そうすると行動をしないので、現実は変わりません。そして、変わらない現実は自分にとって望んだ現実ではありません。望んだ現実でない現実に居続けると今度は、現実に対して「この現実は実は違うんではないか?嘘なんではないか?」と事実を受け容れなくなり、妄想の世界に逃げ込みます。それが妄想性障害という心の病になっていきます。それが破壊的な自己否定です。
では、どうすれば、この負のループから脱出できるのか、というと早期の段階で「自分はダメだ」という思いのところの次の思考です。
自分は(今のところ)ダメだ、という能力の向上思考に持っていくか、自分は今のところダメだ。だから誰かにお願いしよう。
依頼的な交渉術を身に付ける要求のための向上思考に切り替えると良いです。この視点を持っておくと破壊的自己否定から身を守ることができます。
4.建設的自己否定がもたらすもの
次に建設的自己否定についてです。前章で破壊的自己否定の最初の「自分はダメだ」というところで、能力の向上思考か要求の向上思考の2つに分かれると説明しました。建設的自己否定はなんとなく良い感じがするんですが、建設的自己否定の落とし穴もあります。
それが、能力の向上思考です。
もちろんそれ自体は素晴らしいんですが、この能力向上に特化しすぎると誰も頼らなくなります。そして、 困ったことに自分で出来ないことがなくなるんです。一見良い感じですよね。私は1人でできるんだ、それが自信となり、どんどんチャレンジしていく、そして、また出来ることが増え、自信がつく、好循環です。しかし、人は1人だと限界があります。
1人で出来るようになると「頼る能力」が育たなくなります。例えば、大きな布団カバーを自分1人で綺麗に整えようとしたとき、端の方を1人で持つことはできません。しかし、2人ならあっという間にできます。協力すればほんの数秒で終わります。・・・協力すれば、です。
能力の向上思考は一見素晴らしいのですが、頼るということが出来なくなります。頼り方、頼み方が分からないのです。しかし、自信やプライドだけ育っているので、出来ないはずがない、と思い、時間をかけてやるんです。この例え自体は、小さなことですが、積み重なってくると今度はこのような思考にいくのです。
なんで周りの人は協力しないんだろうか、なぜ周りの人はこんな簡単なことも出来ないんだろうか、として 周囲を見下しがちになります。そうするとますます孤立してしまい、誰もそんな人に協力しなくなります。ここでもマイナスのループの罠があるので気を付けてください。
では、本当の意味の建設的自己否定とは、自分は出来ないと認め、受け容れつつ、周りの方にそのことを伝え、頼んでいく、そして、頼みつつ、自分で出来ることはきちんとやっていくということが周りも自身を育てていくということになります。
それが、能力の向上思考です。
もちろんそれ自体は素晴らしいんですが、この能力向上に特化しすぎると誰も頼らなくなります。そして、 困ったことに自分で出来ないことがなくなるんです。一見良い感じですよね。私は1人でできるんだ、それが自信となり、どんどんチャレンジしていく、そして、また出来ることが増え、自信がつく、好循環です。しかし、人は1人だと限界があります。
1人で出来るようになると「頼る能力」が育たなくなります。例えば、大きな布団カバーを自分1人で綺麗に整えようとしたとき、端の方を1人で持つことはできません。しかし、2人ならあっという間にできます。協力すればほんの数秒で終わります。・・・協力すれば、です。
能力の向上思考は一見素晴らしいのですが、頼るということが出来なくなります。頼り方、頼み方が分からないのです。しかし、自信やプライドだけ育っているので、出来ないはずがない、と思い、時間をかけてやるんです。この例え自体は、小さなことですが、積み重なってくると今度はこのような思考にいくのです。
なんで周りの人は協力しないんだろうか、なぜ周りの人はこんな簡単なことも出来ないんだろうか、として 周囲を見下しがちになります。そうするとますます孤立してしまい、誰もそんな人に協力しなくなります。ここでもマイナスのループの罠があるので気を付けてください。
では、本当の意味の建設的自己否定とは、自分は出来ないと認め、受け容れつつ、周りの方にそのことを伝え、頼んでいく、そして、頼みつつ、自分で出来ることはきちんとやっていくということが周りも自身を育てていくということになります。
5.まとめ
ここまでの話をまとめると、自己否定は2種類あり、自己否定が必ずしもマイナスに働く訳ではない、ということ。そして、破壊的自己否定、建設的自己否定では、建設的自己否定が私たちを育てるものになるということ。しかし、建設的自己否定も落とし穴があり、能力の向上思考で自己否定をすると人に頼むということが難しくなり、その頼らないという思考が孤立を促進してしまう 、本当の意味での自己否定は建設的自己否定の中の要求の向上思考である自己否定を目指していきましょう、ということになります。要求の向上思考も偏り過ぎると危険性はありますが、そもそも自己否定をしがちで、自己嫌悪までされる方なら要求の向上思考を目指すくらいがちょうどいい という感じです。
どちらがいいか、という思考は必ず、どちらが悪いという思考につながっていきます。その都度、人は悪くならないように必死になります。悪くならないようにすると、自分が良いと思った瞬間に安心します。そして、安心を得るために、違う物、悪い物、を攻撃しだします。そのようにならないために、良し悪し、正誤ではなく、大きな枠で、人の付き合いをすると視点が変わり、行動も変わってきます。今回は自己否定の枠を大きな枠で見てみましたのでぜひ、自己否定を繰り返しているご友人などにお伝えくださいね!
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どちらがいいか、という思考は必ず、どちらが悪いという思考につながっていきます。その都度、人は悪くならないように必死になります。悪くならないようにすると、自分が良いと思った瞬間に安心します。そして、安心を得るために、違う物、悪い物、を攻撃しだします。そのようにならないために、良し悪し、正誤ではなく、大きな枠で、人の付き合いをすると視点が変わり、行動も変わってきます。今回は自己否定の枠を大きな枠で見てみましたのでぜひ、自己否定を繰り返しているご友人などにお伝えくださいね!
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