以前にも習慣形成において、「目標を言うこと」「メンバー間で報告をすること」というタイトルで5月17日、18日でブログを書いてますが、今回のテーマは「理想」となります。
理想と目標
以前のブログの復習として、目標を人に言うのは目標を掲げ、やる気になるため、メンバー間で報告するのは進捗状況を報告し合い、習慣化していく強度を上げるため。どちらも習慣化に近付くために必要なことになります。
理想を言える仲間とは、目標を言う仲間と近いのですが、厳密には少し異なります。私たちは言葉の意味を何となくでしか学んでいません。私たちの会話のゴールは何となく言わんとしていることが伝わればOKという風な教育を受けてきているので、ここで意味を少し整理してみます。
〇目標とは行動を進めるにあたって、実現・達成をめざす水準のこと
〇理想とは人が心に描き求め続ける、それ以上望むところのない完全なもの。そうあってほしいと思う最高の状態のこと
をそれぞれ意味しています。
違いは、実現・達成を目指す水準か、これ以上望むところのない完全なものか、というところです。
こころと言葉の目標、理想
こころと言葉の目標は「虐待の撲滅」であり、1人1人が自律、あるいは自立し、子どもに誇れるような大人になることです。これは理想に近いのですが、もう少し具体的になると、虐待報告が0になるなどのことを指します。そのために、地域の連携、各自がバラバラになって動くのではなく、統合ができるように働きかける、民間と行政の連携、資金繰りなどの対策を考えること。となります。高い目標ですが、ステップは何となく踏めます。
理想は各々が話し合いができ、話し手、受け手側が「言葉」において、物事を解決できるような世界です。語ると8、9割くらいの人が出来んやろ?不可能やろ?とみたいに言ってきますし、そう、思っています。残り1、2割は、あなたが思うならいいんやない?みたいなスタンスですので、理想は叶わないと思われています。完全な世界はあり得ない、とされているので、私の理想は実は叶えるものではなく、受け継ぐものではないか、とも最近思っています。
(でも、叶えるために行動はし続けます)
そんな理想なのですが、語ると、出来ない理由を言わせる質問が飛んできます。「言語の壁」「文化」「風習」「環境」「教育」などどうするの?と、いった内容です。
理想は習慣に必要か?
結果から言うと、習慣形成においては理想を安心して語れる場は必要です。必ずしもなくても大丈夫かと思いますが、あった方が絶対にいいです。なぜならば、理想を否定されてしまうと、目指している途中であるはずの目標達成のモチベーションが下がり、習慣化にはつながりにくくなるからです。
例えば、料理で世界を平和に!という理想があり、目標は料理店を経営する、とあったとします。そのために、料理の腕を磨いたり、市場調査をしたりという習慣を作ろうというものがあったとします。
理想を語って受け入れらる(「料理はお腹だけでもなく、心も満たすから、平和になるよね!!」)と、「よし、一歩ずつ頑張ろう」となりますが、理想を否定(「料理で世界は平和になる訳ない。貧困地域では食料であればなんでもいい。料理する前に腹に入れられる安いものを提供していけよ」)と言われると、目標までのやる気を奪われるからです。
習慣に仲間は必須
習慣に仲間は必須ですし、意外と、賛同者もいます。この例でいくと、料理店を経営するぞと宣言して、受け入れてくれる人は結構います。もし、あなたの周りに1人もいないなら、ここで受け入れます!
習慣仲間の受け入れ方は「いつまでにやる?」「いいね!」「どんな料理店?」「オープンしたら絶対行くよ」だったりします。
私がベースをバリバリしていた頃、10-Feetさんのライブに行った時がありました。その時のMCで「どーも!楽器を持ったカウンセラーです!」と言われていたのですが、この言葉が今でも頭に残っています。
音楽を通して心に癒しを与えるというのが伝わってきたからです。
あなたの理想は何ですか?
あなたの夢はなんですか?
理想を語ることは恥ずかしくもないですし、むしろ素晴らしいことです。誰かが否定したのであれば、その否定を否定します。理想を語り合う仲間を探していきましょう!