習慣を形成していくと理想の未来が近付いてきているようでワクワクします。そして、そのワクワクはポジティブに生まれ変わってきて、やれる気がしてきます。これは本当に素晴らしい循環です。ではこのポジティブさが癖になったらどうでしょうか。いいと思いますか?
質問の仕方からして・・・?
このような質問の仕方をすると、大抵は良くないような感じがすると思います。その通り。ポジティブさが癖になるとあまり良い結果を残しません。私は割とポジティブな方なのですが、そのポジティブさがかえって仇となるような出来事を何度も体験しております。
例えば、ライブ。ベースをしており、仲間とともにライブをしておりましたが、ある時自分でもびっくりするくらい上手にハマった演奏ができました。会場の空気感とメンバーが出す音がはっきり聞こえて、それに合わせてベースを鳴らす。絵にかいたようなきれいな演奏。それでいて、独特の激しさもある、という私の中での極上とも言える出来でした。一度それを体験しているから、今日も出来るはずだ、と期待していくようになります。そして、それがポジティブな方向に傾き過ぎると、究極的には「練習しなくても、あるいは練習しない方があの極上の演奏ができるのでは・・・?」と本気で思うようになってきます。
そんなことはなく、もちろん結果はダメダメのグズグズ。リズムキープは出来ないし、コードと呼ばれる音は外しまくるし、別のところを弾くし、、と。最悪な出来です。それでもポジティブが残っていたので、ここから新たな発見があり、続くかもしれない、と思うようになります。当然、そんなことはなく、素直にいつもの練習に戻っていき、練習の大切さを痛感しました。
テスト勉強とかもそうです。ポジティブなので、過去問がダメでもなんとかなるんじゃないか、という思いがあり、中々勉強に取り組めないのです。
どちらが良いではない
基本的にポジティブが良い、プラス思考が良い、と言われる風潮がありますが、私たちにはそれぞれ合った思考法があります。今持っている思考習慣とは逆の思考が本当は必要なのです。元々がネガティブ思考ならポジティブ思考が、ポジティブ思考ならネガティブ思考が、それぞれ必要です。どちらが良いという訳ではなく、どちらが今の私たちの状況に適しているか、という視点で見ていきます。物事の基準を良し悪しでとると、結構な確率で失敗します。物事の基準は適しているか、不適か。これで大丈夫です。なんなら人生においては基準はなくても良いくらいです。誰かと比べて、幸せだとか、不幸だとか、そんなことを気にしていると、最も大切な自分自身が見えなくなります。目の前のことは大切ですが、本当に大切なことは内面にもきちんとあります。
人生の師は自分である
誰の言葉か忘れてしまいましたが、人生の師、と呼べる存在が5人いたら、その内、1人は自分自身である、といった方がいます。まさにその通り。私たちはここで習慣を作り、望む理想の生活を現実にすることに注力しています。その「望み」が他人の軸に奪わせないことが大切です。ポジティブだろうが、ネガティブだろうが、どちらでもOKです。どちらもそれぞれ行き過ぎると身を滅ぼしてしまいます。バランスを崩すことも時には必要ですし、新しい何かを積み上げる時は必ずバランスを崩すものですが、私たち自身にとって丁度いい、「ネガポジバランス」を調整していきましょう。
習慣を続けているうちにどこかでコケます。コケた時に、慌てふためくのではなく、事前に「あれ?コケてね?」と気付くことが何より大切です。
このブログの何かがヒントになりますように・・・。