人生ってセーブがきかないRPGみたいなものだと思っているのですが、どうでしょうか?子育てをしているとそんな感覚になり自分の人生を2週目と感じるようなことも起こってきます。
子育てゲーム
子どもは生まれてすぐはレベルが1です。物を持つことも出来ませんし、話すことも出来ません。1人では何も出来ません。「泣く」ことは出来ますが、それ自体で自分の目的を達成するということは中々難しいです。周りに大人がいて、ご飯をくれたり、お世話をしたりしてもらいつつ、徐々に育っていきます。そうして、しばらく経つと、物を持って遊んだり、言葉を話したりして、なんとか生きることが出来るようになってきます。そうして、どんどんと成長していき、社会に出たり、あるいは起業したりしつつ大きくなっていきます。
ここで一人前と呼ばれるような状態になり、新たなステージでチャレンジを繰り返していくのです。
ゲームと人生の相違
しかし、人生をRPGのようにみると交わらない点が2つあります。それは、人生においては自分の敵、あるいは達成したい目標が掲げられていないことと、エンディングが「死そのもの」であるということです。ゲームの世界ではエンディングに辿り着くために、筋道が容易されており、一つ一つをクリアしながらエンディングに向かっていきます。世界を滅ぼそうとしている魔王を倒すことであったり、平和を取り戻そうとするものであったりします。そして、その目的が達成されると、終わりとなります。
ゲームはこのように最初から自分(主人公)のやることがあらかじめ決まっていて、それをやっていく上で困難を乗り越えていくというものになっています。そして、達成されると終わりです。RPGをやったことがない人には分からないかもしれませんが、結構面白いと思います。やり始めるとなかなか終わらないんですよ。一つ一つの課題をクリアしていき、ゴールに近付いているという感覚、なかなか癖になります。
自由に描ける
目標とエンディングが私たち自身で描けると、普段の生活も楽しく過ごすことが出来るようになります。しかし、現実は途中でやり直す、ということが出来ません。正確にはやり直しは効くのですが、「なかったこと」にすることは絶対に出来ません。なので、慎重に生きていき、「失敗しないように」行動を制限する方もいます。もし、やってしまって失敗したら、2度と元には戻らないのです。そういう意味では慎重さは本当に大切です。軽はずみな言動が私たち自身を追い込むことだって無数にあります。
慎重さと大胆さのせめぎ合い
それでも目標設定があり、それを達成して、どのようなエンディングを迎えるか、というのを私たち自身で望むように書き換えていける、というのは人生のRPGでは利点ではないかな、と考えます。大胆にやりたいことをやって、みんなから祝福され、大規模なお葬式でエンディングを迎えるのもいいですし、盤石な基盤を作り、家族を築き、少人数から惜しまれつつエンディングを迎えるのもいいのです。私たち自身でデザインすることはできます。
筋道は合ってる?
問題はその目標を達成するための習慣が今現在あるか、ということです。今現在の習慣がそのエンディングに結びついていなければ、決してそのコースを辿ることは出来ません。過程を飛ばして、いきなりエンディングに立つことは出来ないのです。ある朝起きたら、理想の自分になっていて、全く知らないような人たちに囲まれているというようなことは起こり得ないですし、ドアを開けたらいきなり自分が望むような結婚相手から求婚される、ということも起きません。結局は日々の積み重ねがその一瞬(イベント)を生み出しているのであって、積み重ね無くして、イベント発生はしません。
このように書いていくと、大体はそうだな、と分かるのですが、通常の生活では、すぐに結果を求めます。即痩せ、即良くなる、即金持ち、などなど。過程を体験していないのに結果だけ入ってもゲームとしては面白くありません。レベルアップの過程を楽しめるようにすることが本当に私たちが学ぶべきことであり、習うことです。私たちの人生のRPGを一緒に作って、楽しみながら生きていきたいですね。