ある1つのことをやり続けるということはそれだけでいろいろやっているような感覚が訪れます。一見矛盾して見えますが、「1つのこと」と「たくさんのこと」は実はつながっているのです。
本質とは?
ここで大切なことは目に映る全てのものにそれぞれ本質、もしくは役割があるということを知っておくことです。例えば、料理であれば「食」ですし、建築であれば「家」です。起業であれば「収益」とかになるでしょう。しかし、料理であれば現在は「卵料理専門店」「肉料理専門店」など各専門に分かれており、これは家でも収益を上げるための行動でも同じです。ここまでは大丈夫と思います。今は分かりやすく、大枠で項目分けをしましたが、さらに大枠で括れます。
全ての根源
全ての大枠、それが「楽しく生きる」ということです。「楽しく」というのは価値観なので、成長であったり、幸せであったりいろいろ私たち個人で違いますが、究極は「生きる」というところにつながっていきます。私たちは食べないと生きられないです。どんな環境で、どんなものを食べるか、は人それぞれですが、食べたりしていると思います。栄養があればいい、ということは栄養が無いと生きられない訳です。ちょっと話が大きくなりすぎてきたので戻しますと、私たちがどのような習慣を身に付けたいか、また、それによって何を達成したいか、ということも実のところこの「食べる」ということにつながっています。大枠で括るとつながっているので、1つのことをやっていたとしても「気が散り」他のことをやってしまいます。要は気が散るというのは、枠が大きくなる瞬間とも言えます。
大枠で括ると気が散る
例えば、私がベースをやり続けていた時。基礎練習として指を速く動かす、とか、休符(音を出さない)を感じるために、メトロノームを鳴らしながら足でリズムを取る、などの大して面白くない練習がありました。これは習慣が身に付きにくい練習で、全く面白くありませんでした。本来ベースを弾くと決めた時、ステージの上でバッキバキの音を鳴らして、地味に目立つ、というポジションを取りたかったので、この地味に地味を重ねた練習は苦痛でした。
習慣は苦痛であるとなかなか続きません。すぐに基礎から外れ、別のことをしたがります。指を速く動かすには筋肉が必要だ。指先を細かに動かす練習のためにテトリスをやろう!とか訳の分からないところに飛んで行くのです。休符を感じるためにボーリングをしに行こう。ボーリングなら1投と1投の間に休みがある、さぁ、ボーリングだ!誰か誘おう!みたいにぶっ飛んでいき、本来の練習から逃げ出す日もありました。言い訳上手です。と、このように全ての物事はとりあえずつなげることができます。そして、一旦つながると「習慣化」したい行動からだいぶズレた行動に着地してしまい、本来は最短で目標達成出来ることであるにもかかわらず、迂回しながら進んでいることになります。
習慣が吹っ飛ぶ
全くの無駄ではありませんが、実は様々な手法に手を出すこと自体は人生がある程度順調に進んでいる証拠で余裕がある状態です。余裕があるから他のことに手を出せるのです。本当に余裕がなければ、それしかすることがなく、習慣がどうの、というものの段階にはいません。やるしかないのです。
もし、私たちがある1つのことをやり続けると決めているにもかかわらず、他のことに手を出したり、気が散るという状態であれば、人生的には余裕がある状態と言えるでしょう。ですから、私たちは本気で物事に取り組むのであれば、余裕を奪うという考え方も必要です。その1つが締切。締切があれば、やらざるを得ません。期限なのですから。締切を出来るだけたくさん作っておくと、余裕が奪われ、習慣に結びつきやすくなります。まずは1つのことだけ。次に手を出すのは、それからの話なので、先々に役に立つかも・・・?という発想は置いておきましょう。
最後に学び基本姿勢
何事もJust In Time(今必要)という考え方でいきましょう。Just In Case(その時必要)の考え方は、気が散る一つの要因です。合言葉は Just In Time!!ということで本日は締め括ります。