私たちは自分のことを特別だと思っているのでしょうか?それとも凡人だと思っているのでしょうか?どちらの評価にしてもそれは「誰かと比べて」という基準が入るはずです。
比較基準
生まれながらに自分は特別であると思っている人は自分のことを「その他大勢の成果を上げていない人」と比べてますし、凡人だと思っている人は「圧倒的成果を上げている人」と比べています。物事の評価基準は「比較対象」がないとなかなか難しいものです。そして、その比較対象は大体の場合において自分の基準になることが多いです。
自分を基準にすると?
自分は出来るのに、相手はできない、という状況をみるとその人は相手のことを「できない人」という評価をしてしまいやすくなります。そして、それが何度も続くとその相手のことを「できない」というレッテルを貼ったまま見続けることにもなってきます。そうすると、相手ののことをそのまま「何をやっても出来ない人間」と扱うようになります。「できたこと」があったとしてもそれをたまたまの偶然で、処理し、一生相手のことを「できない」と思い続けるのです。
もし、私たちの周りで私たちのことをそのように「出来ない人間」として扱ってくる人がいるのであれば、その人は「自分基準」が強い人です。
すぐに距離を置きましょう!
しかし、この「基準」という考え方ことを知っておくと、そのように見ることはあまり適切ではない、と思えるようになりますので、「比較基準は何か」という視点をもっておくことはとても大切な視点の一つです。
習慣で比べるもの
さて、習慣を身に付けるときに大事な事があります。人と比べないことです。当たり前なんですが、誰かと比べて「結局私は続かない」という結論に安易に飛びつくのは違うということ。習慣は大枠で言うと自分自身のために身に付けるものです。長生きしたいとか、裕福になりたいとか、家族とゆっくり過ごしたいとか。そのゴールを達成するために日々の過ごし方に意識を向けてやっていきましょうというものなので、ゴール設定が違う以上、正しい習慣などはなく、私たちが望む理想につながる習慣かどうか、ということが重要です。
結果と習慣
例えば、毎日ジャンクフードや肉などをお腹いっぱい食べる、運動はしない、という習慣を身に付けると太る、という結果が手に入ります。もしくは、食費が増え、家計を圧迫する、という結果かもしれません。逆に野菜を多く食べ、運動をするという習慣を身に付けると、適度に引き締まった身体という結果が手に入ります。どちらを望みますか?ということが私たちに合った習慣となるのです。とはいえ、なかなか理想とするゴールは描けていても続かない、というのが本音のところだと思います。
凡人と思うこと
ここでは習慣にテーマを当てたブログを書いていますので1つでもヒントになれば幸いです。今日は比較基準で評価が決まる、という視点から習慣を見ています。最初の投げかけであなたは特別か、凡人か、ということを伺いました。私はちなみに凡人です。つまり、比較は成績が良い人で、評価は凡人、ということですね。
私の自己評価は凡人だからこそ、人の3倍くらいやってようやく、平均値より少し上の結果が出せる、と思っているのです。これは昔からです。凡人だからこそ、ついていこうと必死に生きています。最近のブログでは受験勉強について書いていましたが、そこでも実はこんな裏話があるのです。マス目が着いた紙を1時間勉強する毎に塗りつぶすという勉強方法を採用していましたが、その手法自体は、実は当時愛用していた学習教材のおまけでついていたものです。全部塗り切るとそのマス目シートのゴールである南の島に辿り着ける、というもの。普通にやったら100マス(100時間)くらいで南の島に行けるのであれば、私は人の3倍やらないといけないので、、、と思い、そのマス目を3分割しました。3時間やって1マスしか進めない、という自分ルールを作りやっていったのです。そして、なんとか南の島までマス目を黒く塗ることができ、結果として、成績が上がり、無事目指していた成績になった、という訳です。
3倍やるには凡人思考
それからこの方法を自分で採用して、マス目シートを作るようになりました。これは私が自分のことを凡人、むしろ凡人(学校の成績の平均値)よりも劣っている、と考えているからできたことです。自分のことを特別で、テストのときはたまたま点数が悪かっただけ、と捉えているときっと成しえなかった習慣でしょう。そう捉えると、特別な人も私と似たような努力をしていると考える方が普通になり、やはり習慣のすばらしさや偉大さに感服するばかりです。
今日は前進したように感じなくても、やったことはきっと積み重なります。大切なことはその積み重ねがゴールに続いているか、それとも望まないゴールに続いているかです。
そこだけを私たちと一緒に毎日チェックしていきましょう。