習慣になると「それ」がなんであれ、なかなか初心に戻ることができません。場合によっては元に戻れないという事も発生します。特に音楽をやっている(作曲や編曲など)方はおそらく自分のパートの楽器の音をついつい日常で音楽を聴いている時に耳が追ってみたりするのではないでしょうか?
私はベースを弾いておりましたので、どのバンドであってもベースは特に耳で追ってしまいます。ベースをやり始める前は、一つの「音楽」として楽しんでいたのにもかかわらず、今ではその当時の楽しみ方はできなくなっています。
その代わり違った楽しみ方はできるようになりました。ベースのラインはこうで、ここはすごいな、ボーカルの音との組み合わせやドラムとのリズム感、やばいな、みたいな感じです。
・・・あくまでもこのブログは習慣について書いていきますので軸を戻すと、ある行動を習慣にしようとした時、習慣の第一歩の時の気持ちは本当に貴重というものです。続ける方が良いとはよく言いますし、そうだとは思いますが、貴重な体験はやはり「初めの一歩」ではないでしょうか。この「初めの一歩」を意識しながら、まず、踏み出してみましょう。
練習を続けると分かること
そして、練習を続けていくと気付いていくことがあります。そのときに陥るワナというのが「知ってる」というものと「向いていない」というもの。
今回は「知っている」ワナについて説明します。向いていないというのは一概には言い切れない部分がありますので、後日説明します。
やり始めのときは初めてやることなので、意外と続くのですが、練習するとなんとなく、その世界のことを「知って」「分かって」「やって」いくことになります。そうすると、その行動を習慣化するとき、あるいは習慣っぽくなってきたときに、新しい何かを学びます。
その時出るのが、「知ってる」「分かってる」「やってる」のどれかに当てはまる感情が出てきます。
サインはこの3つ
この感情こそが、習慣が3日坊主になる、あるいは思ったより続かなくなるワナなのです。要は「知ってる」「分かってる」「やってる」では今の殻の中の言葉です。習慣を通して得たいものはもう少し先にあるのではないでしょうか。
私もベースを始めて1ヵ月くらいで「あれ?プロになれるんじゃない?」と勘違いしたことがありました(笑)。私の周りではベーシストあるあるだと話題になりました。(単音のみで演奏するというルート弾きというスタイル)
要はなんとなくやれてしまう、なんとなく知識もある、という状態です。しかし、本質には程遠く、本質を掴むのは練習、習慣の後しかありません。そして、いつの間にか練習することがゴールになり、なんとなく維持すればいいや、みたいになり、習慣が廃れていくのです。ベースのことは知ってるし、分かってるし、やれるし、と。
事前に認識しておけば引っかからない
これらは、練習して初めて気付くのですが、今私たちはこの壁を知ることが出来ました。なので、習慣化のワナを破ることもできるはずです!
私たちが身に付けたい「習慣」は単なる「生活習慣」、歯を磨いたり、お風呂に入ったり、というものではないと仮定しています。そうだとすると、5年後に今やっている、もしくは今からやり始める行動は、今までの私たちの生活や視点をがらりと変わっているはずなのです。
視点はやれる現在ではなく、変わった未来です。
例えば、読書。
この読書習慣を身に付けた結果、家の中に本が多くなり、本の知識が深くなります。習慣形成の途中では、読む本のジャンルが偏ってきて、そのジャンルについては結構知識が深くなります。そうしながら、人に話したり、ブログに書いたりしていきます。新しく本を買いますが、目新しいものはなく「知ってる」「分かってる」「やってる」と思うようになり、いつしか本自体を読まなくなります。
これが罠にはまりそうなパターンです。このワナを防ぐには小説から統計学の本やら古書やら様々なタイプの本を読むことで防ぐことができます。もちろんこのパターンだけではないと思います。単純に時間がないという理由もあるでしょう。しかし、やってみて初めて分かることもあります。
取り掛かる前の目標設定も大事ですが、習慣形成途中で気付くことも多くあります。その一つ、「知ってる」「分かってる」「やってる」に油断しないように、習慣を形成していきましょう!